第8回目は、前回に続いて政策研の統括幹事である岩本亨(いわもととおる)先生へのインタビュー(後編)です。
取材をきっかけに始まった診断士への道
―診断士資格取得のきっかけを教えてください。
前職のリクルート時代、TACなど資格スクールに取材したことが直接のきっかけです。2000年頃、それまで携わっていた新卒採用や新規事業の部署からスクール事業の部署に異動したんですね。営業マネージャーとしてTACの担当になりました。その部署には「お稽古や資格スクール」を取材・紹介して生徒募集する情報誌がありました。ところが、社内でその情報誌に携わる人は、取材して紹介をするだけで、その資格を取りに行くとか、学びに行くことをほとんどしていなかったのです。経験しないのにああだこうだと記事にするのは違うだろうと思ったんですね。実態はたぶん違うはずだと。自分でやってみないとわからんでしょう、ということで診断士資格の勉強をはじめました。
―診断士登録と同時に独立なさったんですよね。
リクルートにはもともと独立を奨励する社風がありました。創業者の江副浩正さんご自身が、独立するなら50歳前に独立しないと体力面でも難しくなると言って、45歳までに辞めて独立するように奨励をしていたんですね。僕がいた頃は37歳で早期退職制度「フレックス退職」があって、その年代の人がどんどん辞めていくんですよ。そうすると残った人は肩身が狭くなってくるわけです。40歳も過ぎると、何あの人、まだいるわけ?って。
―そういう雰囲気だったのですか?
直接そう言われるわけではありませんので、勝手にそう思いこんでいる部分もあったのかもしれません。周囲の同期の人たちが実際にいなくなるから、ヤバイよね、という感じが強くなる半面、独立するのって怖いなぁ、食って行けるのかしらと恐怖心を募らせていました。でもだんだん社内での居場所を失っているように感じてきて、診断士登録と同時に43歳で独立しました。
運命で結ばれていた!?遠藤直仁先生との出会い
―中小企業政策研究会の代表の遠藤先生とはいつ頃出会われたのでしょうか?
スクール事業の部署に移って1年半くらい経った時に、TACの取材対象として、クライアントから遠藤先生を指名されたのです。当時遠藤先生は税理士登録の要件である「2年以上の実務経験」を積むために、渋谷にある安斎洋子税理士事務所にいらっしゃいました。そこに取材に訪問したのです。
―初めて会った時の遠藤先生の印象はいかがでしたか?
遠藤先生が熱く語るんですよ。「中小企業を支援するために中小企業診断士が活躍しなければならない。まだまだ日本にはそういう想いを持った人間が少ない」と。先生のそんな熱意に触れて、初めてお会いした次の週には、TACの中小企業診断士講座を受講し始めました。最初の講義が遠藤先生で休憩時間に「先生、受講始めました」って挨拶しました。遠藤先生も「あっ!、あぁ~」と驚いていらっしゃいました。
―TACに通われたんですか?
リクルートでクライアントでしたから他で受講するわけにもいかず、TACに通いました。でも通いはじめて1週間経った頃にすぐに後悔しました。リクルートもすごく忙しい会社でしたし、TACの方々からもチェックされますので、なんでこんなことはじめちゃったのかな、バカじゃないの俺、と思いました。
―もしその時に遠藤先生ではなくて、別の方と出会っていたら、他の資格を目指した可能性もあったのでしょうか。
ありましたね。ただ、診断士という資格自体は以前から知っていて、なんとなく取りたいなという憧れがあったので、いずれにせよ診断士を目指す流れにはなっていたと思います。
―憧れがあったというのは、診断士のどういうところに惹かれていらっしゃったのでしょうか?
中小企業の支援をする仕事なんだろうなと勝手に思っていたわけですよ。そういうのって良いよなって。
―それでは、もともとリクルートにいらっしゃるうちから、将来、中小企業を支援するようなお仕事をしたいという思いはあったのでしょうか。
そこまで明確ではありませんでした。ですから最初のきっかけは、先ほど申し上げた通りで、ちゃんと取材先の実情を知らんとダメだ、まずは自分で資格の勉強というものを体験してみようというところからですね。
中小企業政策研究会、産声をあげる
―遠藤先生のお話も出たところで政策研との関わりについてお伺いします。政策研の設立当初から関わっていらっしゃったんですか。
関わっていました。設立は僕が勉強をはじめて2年目のはずです。
―政策研の設立は2003年となっていますね。
その時は、僕はまだ勉強中で、診断士にはなれていませんでした。
―受験生時代から関わられていらっしゃったということですか。
そうです。受験生でしたが設立には関わりました。本当に小さな組織でした。
―当初は何名くらいいらっしゃったんですか。
十数名だと思います。
―どういう経緯、趣旨で作られたのでしょうか。
遠藤先生が「とにかく資格を取れ、取れと言って指導している、受験生の皆さんを煽っている、そんな中で取った後は知らないよ、では悪いよな。資格を取った後も仕事の見つけ方であるとか、そういったところまで指導したい」とおっしゃって、そういう趣旨でやろうとはじめたんです。遠藤先生もお人好しで「大きなお世話人間」ですから(笑)、自分の講座で受講生に「こういう研究会もあるからさ、合格した暁にはここに入って一緒に活動しようよ」というようなことを言いはじめたわけですよ。
今も続いていますが、毎年1月、TACの合格祝賀会の直後に、2次会と称して政策研究会の飲み会をやっているんですね。そこに合格者がたくさんやってきて。人数が増えていったんですよ。
進化する中小企業政策研究会
中小企業政策研究会(通称:政策研)では毎月の全体定例会と、14の分科会による活動を行っています。ここでは政策研のこれまでとこれからのことについて伺いました。
―少人数で始まったということは、初めは今のようなチーム制(分科会)ではなかったのでしょうか。
チーム制ではなかったですね。運営も遠藤先生が自分ひとりで全部やろうとしていたので、もう先生いい加減にしたほうがいいよ、まわるわけないから、チームにしよう、チームにしようと周囲が言って。それを提言したうちのひとりが僕です。
―設立から何年目くらいにチームが出来たのでしょうか。
4年目から5年目だったと思います。会員数も増えて200人ほどになっていました。
―それまでは毎月200人を対象に定例会をされていたのですか。
毎月その人数を対象にして、遠藤先生がご自分でやっていましたね。
―講義をされていたのでしょうか。
そうですね。遠藤先生がご自分で話したり、先生の顧問先の社長を連れてきて話してもらったりしていましたね。それが遠藤先生だけだと、だんだんまわらなくなった。それでチーム制にしました。チームごとに責任制にして定例会をチーム企画でやるようになったんですよ。
―何チームくらいで始まったんですか。
初めは10チームくらいだったと思います。それぞれのチームが定例会の担当になって、開催したんですが、自分たちの活動の紹介の時間みたいになってしまって、それが面白くないなということから、それなら会員が自ら定例会企画を提案するコンペにしてしまえという話になって、今のような企画提案コンペ形式になりました。
―コンペはどなたの発案ですか。
私が提案しました。振り返ってみてここまでは良かったと自画自賛しています(笑)。一方で私自身、設立された2003年からずっと関わってきていますし、統括幹事という役割もずいぶん長く務めてきましたから、もう世代交代しないといけないと思っています。組織承継が必要だと、そういう話を幹部会でしているところです。そうでないと研究会として発展していかないですよ。
―チームといえば分科会として「岩本組」を主催されていらっしゃいますが、どのような組なのか教えてください。
どんな組か?みんなで切磋琢磨できるといいよねという僕の考え方を基に、テーマを全く限定せずに活動しています。たとえばCRCでは扱っていない事業再生・事業承継以外の案件も、ここで皆さんと一緒にやりたいと考えています。独立診断士に限らず、企業内診断士の方であっても時間の都合をつけて参加できるのなら、一緒にやりましょうということでやっています。
―どういう方が集まっているのでしょうか。
岩本は怖そうだけど、何かそこで活動すると実務に近づけそうだという(笑)、そういう人たちではないでしょうか。
―中小企業支援の現場に入っていきたいという方が多いのでしょうか。
現場を体験したいという人が多い気がしますね。それほど新人の勧誘活動はやりません。ですから、入ってこようという方には意欲のある方がすごく多いです。みんな本当に優秀です。
―お正月の時でしょうか、岩本組の皆さんが紋付き袴でバン!とお座敷に集まっている写真を見せていただいて、岩本組はそのイメージがあります(笑)。
そうです。そういうイメージで怖さを打ち出しても、その悪戯心を面白そうかなと感じる変な人が集まる、そういうところです(笑)。
―政策研の魅力を教えていただけますか。
定例会の内容がすごく良くなっていると感じています。今年のコンペ企画、すごくレベル高いんですよ。
―我々は入会して1年目なので、まだ今年度しか知らないのですが、定例会の企画だけではなく、分科会の活動を通して、皆さんの前向きな雰囲気を感じられるだけでも面白いな、と刺激をいただいています。
そうだと思います。コンペには誰でも参加できますので、通常の定例会では自分が提案した企画で学びたいことを学ぶことができます。定例会とは別に、様々なテーマで活動している14の分科会もありますから、自分で勉強したい分科会に参加して、どんどん自主的に活動していけばいいわけです。今、会員数は350人くらいの、一大勢力ですので、ネットワークを活かしていろいろなことができると思います。口を開けて待っていても何も起こらないですから、受け身にならずに自分で積極的に関わり、ひっぱり、提案してやっていくとか、そんな自発的なかつ積極的な活動をしながらお互いに切磋琢磨していきましょうという、それができることが政策研の魅力かなと思います。
―政策研のメンバーと集まるとどういったお話をされるのでしょうか。
支援先には様々な業種がありますから、ある領域からは専門性が高くなります。政策研でも独立されている方とは自分の専門分野の話になりますね。ある業界に詳しい方がいれば、一緒にやろうよというように。一緒に研究会活動をしていると同じ釜の飯を食っているみたいになりますし、様々なバックボーンを持った方々が集まっていますから、いろいろな話ができますね。こうしたネットワークは大切ですよ。思いつきで異業種交流会に出たりするよりはよほど有益だと思います。
― 一緒に学んでいるというのは大きいですよね。
そうそう、一緒に苦労しましたとか、一緒にその都度酒飲みましたとかね。飲ませ過ぎだ、みたいな話はありますが(笑)、そういう体験の共有はどんどんやったほうがいいなと思っています。
―岩本さんにとって、政策研はどんな場所でしょうか。
診断士である皆さんにはもっともっと活躍してほしいし、活躍しなくてはいけないと思います。ニーズはたくさんあるのにそれに対応できていないなという意識を持っているので、そういうところを目指して、みんながお互い成長し合える場所にしたい、そういったことを実現できる場所であればいいと思っていますね。
これから診断士の道を歩む方々に向けて
―これから新たに政策研に入会する方たちへの期待を聞かせてください。
皆さん、苦労して資格を取られますよね。資格を取ることを目標にしている人はそんなにいないはずで、何かしたいことがあるから取ろうとしたと思うんですね。ですから、何をしたかったのかということを振り返って考えてみてもらって、それを政策研で実現していくということを考えてもらいたいですね。ひとりで出来ないことを政策研のなかでやってみる、そんなきっかけになるといいなと思っています。
―最後に、これから診断士になる方への期待を聞かせてください。
一緒にやりましょうよ、仕事はいくらでもありますからということですね。もちろんそのためにはきちんと仕事に見合う実力を持っていないと無理ですが、勉強しながら、共に成長しながら一緒にやりましょう。切磋琢磨、お互い競い合いながらやっていきたいですよね。私自身も日々努力していかなければと思っています。
―本日は診断士や政策研の魅力についてご紹介しました。皆さん、来年度から診断士としてぜひ政策研で一緒に活動していきましょう。お待ちしています!
記事作成&インタビュー担当(岩本先生のプロフィールは、前回記事を参照)
松本典子(まつもと のりこ):
神奈川県鎌倉市出身。青山学院大学国際政治経済学部卒業後、国際基督教大学大学院で教育学を専攻。介護事業運営会社に勤務。人事として、従業員が働きやすい職場づくりを目指して働いている。2016年中小企業診断士登録。神奈川県診断協会所属。
水島 壽人(みずしま ひさと):
大日本印刷㈱勤務。出版印刷事業分野の営業職として、主に書籍の製造や販促に従事。仕事の傍ら、2011年より東北の復興支援活動に携わっている。2016年中小企業診断士登録。ターンアラウンドマネージャー。神奈川県診断協会所属。