中郡 久雄会員から『エフェクチュエーション入門』ついてお話を頂きました。
開催日:2025年8月24日(日)15:00~17:00
テーマ:『エフェクチュエーション入門』
発表者:中郡 久雄 会員
- エフェクチュエーションとは
エフェクチュエーションとは、経験豊富な起業家が「極めて高い不確実性に対処するための思考様式」として1999年頃にアメリカで提唱され、日本では2015年頃から普及し始めた概念です。従来の経営学で重視されてきた「コーゼーション(因果論)」と対比される考え方であり、予測困難な状況下における意思決定と行動に焦点を当てています。
1.1. コーゼーション(因果論)との対比
項目 |
コーゼーション(因果論) |
エフェクチュエーション |
前提 |
予測可能な環境、明確な目標 |
極めて高い不確実性、予測不可能 |
プロセス |
市場分析 → 事業計画策定 → 資源・利害関係者獲得 → 計画実行 |
手持ちの手段から開始 → 許容可能な損失を設定 → 相互作用 → パートナーシップ構築 → 新たな手段・目的の発見 → サイクル |
目的 |
計画の最適化、予測に基づく合理的な意思決定 |
望ましい結果の創出、コントロール可能な要素への集中 |
焦点 |
機会は「発見される」もの |
機会は「創造される」もの |
1.2. 予測の限界
因果論的アプローチは目的が明確で環境が予測可能な場合に有効ですが、現代のような不確実性の高い時代には限界があります。実際に、以下のような「予測の失敗例」が知られています。
- 1968年 ビジネスウィーク:「日本車は成功しない」と予測 → 1970年代にトヨタ・日産が市場を席巻。
- トーマス・エジソン:蓄音機に「商業的価値はない」と発言 → その後GEの成長基盤に。
- デッカ・レコード:ビートルズを「ギターグループは時代遅れ」として落選 → 他社が拾い世界的成功。
- 1989年 ワープロ専門機:各社が「なくならない」と予測 → 1995年Windows95登場後急速に消滅。
これらは、専門家であっても予測が容易に外れることを示しています。
1.3. 「不確実性」の定義
フランク・ナイトは経済学で以下のように定義しています。
- リスク(Risk):発生確率を推定できるもの(例:赤玉と緑玉が5個ずつ入った袋からの抽選)。
- 不確実性(Uncertainty):発生確率すら推定できないもの(例:中身が不明な袋からの抽選)。
エフェクチュエーションは、この「不確実性」の状況において、起業家がどのように行動するかを明らかにします。
- エフェクチュエーションの発見と意義
2.1. サラス・サラスバシーによる研究
エフェクチュエーションは、サラス・サラスバシー氏が1997年にカーネギーメロン大学博士課程で行った意思決定実験に端を発します。この研究により、経験豊富な起業家の意思決定には共通するパターンがあることが明らかになりました。つまり、起業家の成功は天才的発想や大胆なリスクテイクだけでなく、学習可能な「共通の論理・思考プロセス」に基づいているのです。
2.2. 学習可能性と教育への普及
エフェクチュエーションは「学習可能」なため、カリキュラム化が可能です。アメリカのビジネススクールではほぼ全てで講座が設けられ、日本でも神戸大学・京都大学・関西学院大学などで教育プログラムが提供されています。
また、この理論を学んだ人が起業する事例や、大企業の新規事業開発、さらには医療現場など多様な分野での応用研究が進んでいます。
- エフェクチュエーションの5つの原則
エフェクチュエーションは、4つの原則と1つの基本原理から構成されます。
3.1. 手中(手の中)の鳥の原則(Bird-in-Hand Principle)
問いかけ:「あなたは何を持っていますか?」
内容:
- 明確な目的や市場評価から始めるのではなく、まず自分が「持っている手段」からスタートする。
- 自分の能力、知識、人脈、余剰資源(スラック)といった手持ちのカードを確認することが出発点となる。
従来の考え方:「何をしたいのか」「目的は何か」からスタートする。
エフェクチュエーション的考え方:目的を固定せず、現在持っている
- 「私(Who am I)」
- 「何を(What I know)」
- 「誰を(Whom I know)」
から行動を始める。
詳細:
- 「私」:アイデンティティ、能力、特徴、教育、経験。調査によれば、企業家の成功に性別、学歴、親の経営経験、配偶者の有無などは統計的に「有意性がない」。幼少期の興味や夢に立ち返ることで、自分ならではの個性や強みを見つけやすい。
- 「何を」:専門知識、技術、教育経験。異なる知識の「掛け合わせ(新結合)」が新たな価値を生む。
- 「誰を」:社会的ネットワーク。直接の友人だけでなく、偶然知り合った人や他人を通じて繋がれる人(いわゆる「6次の隔たり」)。「弱い紐帯の強み」として、強固なつながりよりも弱い関係から新規性の高い情報を得られる場合が多い。
- 「余剰資源(スラック)」:趣味、未利用の技術、在庫、使い回しの設備など、本来の目的以外に活用できる資源。例として、ゲームボーイ初期モデルは、電卓メーカーの余剰液晶技術から生まれた。
3.2. 許容可能な損失の原則(Affordable Loss Principle)
問いかけ:「どこまでだったら失敗してもいいか?」
内容:
- 投資判断を「期待されるリターンの大きさ」ではなく、**「許容できる損失の範囲」**で考える。
- 失敗しても致命傷にならない範囲で行動することで、再挑戦の機会を確保する。
対象:金銭だけでなく、時間、信用(信頼貯金)、社内での昇進機会なども含まれる。
行動:
- リスクを最小限に抑える方法を検討し、失敗しても大丈夫な範囲を明確にする。
- 「行動しないことの機会費用」も考慮に入れる。
- モチベーションが高い人ほど、許容可能な損失の範囲は広がる傾向がある。
3.3. クレイジーキルトの原則(Crazy Quilt Principle)
問いかけ:「全ての関与者と交渉し、パートナーシップを築く」
内容:
- 最初に定めた目的や計画に合致しない協力であっても、可能性があれば積極的に交渉する。
- 様々な利害関係者とパートナーシップを構築し、協働によって新しい展開を生み出す。
- 断られても関係を終わらせるのではなく、「できること」を組み合わせる姿勢が重要。
イメージ:異なる柄の布を縫い合わせ、パッチワークのように全体を形成するキルト。
例:資金提供を断られた場合でも、販路紹介や人材の紹介など、別の形での協力を依頼する。
3.4. レモネードの原則(Lemonade Principle)
問いかけ:「予期せぬ事態を避けず、偶然をテコにしろ」
内容:
- 予期せぬ出来事を「問題」としてではなく、「新しい機会」として捉える。
- リフレーミング(視点の転換)によって、偶然を活かして発展に繋げる。
例:
- ペニシリンの発見(偶然カビから抗生物質へ)
- ニュートンの万有引力の発見(リンゴの落下から着想)
- ポストイット(強力接着剤の開発失敗から新商品へ)
概念:セレンディピティ(Serendipity)=思いがけない偶発や幸運、価値あるものを偶然見つける能力。
3.5. 飛行機のパイロットの原則(Pilot-in-the-Plane Principle)
問いかけ:「予測できないものに固執せず、コントロールできるものに集中する」
内容:
- 将来の環境や結果が予測不可能であるという前提に立ち、自分がコントロールできる要素(行動、資源、パートナーシップなど)に集中する。
- 望ましい結果は「予測」ではなく「自らの行動」によって創り出す。
姿勢:余計なことに気を取られず、自らの行動によって未来を「操縦」する。まさにパイロットのように主体的に関与する姿勢が求められる。
- まとめ
エフェクチュエーションは、不確実性の高い現代において、特に起業家やイノベーターに有効な思考様式と行動指針を提供します。予測に基づく計画が困難な状況下では、まず手持ちの資源から出発し、許容可能な損失の範囲で行動を起こし、多様なパートナーシップを築きながら、予期せぬ出来事を新たな機会へと転換していくことが求められます。そして最終的には、自らがコントロールできる領域に集中し、主体的に未来を創造していく。このように、エフェクチュエーションは実践的でありながら学習可能なアプローチとして機能します。さらに、個人が自身のアイデンティティや経験を深く掘り下げ、周囲との関わりの中で新たな価値を生み出すための有効なフレームワークとして、今後も多様な分野での活用が期待されます。